今日は多磨霊園で建墓でした。近くに故三島由紀夫の墓「平岡家之墓」があります。よく手入れされた立派な墓所です。

ウィキペディアによると

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年大正14年)1月14日1970年昭和45年)11月25日)は、日本小説家劇作家随筆家評論家政治活動家皇国主義者。血液型はA型[1][2]。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である[3][4]。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある[5]

満年齢と昭和の年号が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い[6][7][8]

代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴[9][10]

晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁バルコニークーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生れるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした。・・・とあります。

学生時代に起きた割腹事件が衝撃的でした。

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10区1種13側32番  立派です
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本名:平岡公威(きみたけ)